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続・夕陽のガンマン「The Good, [イーストウッドを見逃すな!]

☆続・夕陽のガンマン「The Good,the Badand the Ugly」
(1966年製作、セルジオ・レオーネ監督、脚本:フリオ・スカルペッリ、セルジオ・レオーネ、ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ、音楽:エンニオ・モリコーネ、撮影:トニーノ・デリ・コリ、製作:アルベルト・グリマルディ
クリント・イーストウッド、イーライ・ウォラック、リー・ヴァン・クリーフ
   
この作品は、178分版で、未公開シーンも含まれた復刻版である。
セルジオ・レオーネは、西部劇が大好きなのだということが、良くわかる作品で、「荒野の用心棒:A Fistful of Dollars」「夕陽のガンマン:For a Few Dollars More」とレオーネを一躍世界的監督として知名度を高めた作品を観ても、それが良く理解できる。

従来のアメリカウェスタンにはない西部劇への深い愛情を感じる作品揃いである。(独特の映像表現と質感は、レオーネタッチとでも呼ぶべきだろう)
脚本が面白く、登場人物たちの個性が際だっていて、何と言っても作品全体が
他のマカロニ・ウェスタンの様に、“安っぽく、いい加減”ではない。

中学生の頃、日本テレビ系列で、マカロニ・ウェスタンを放映していたのを覚えているが(計11回放映)、劇場公開された他の作品を含めてかなりいい加減な作品が多かったが、レオーネの作品は、一線を画し優れた芸術性を発揮している。

考えてみれば、イタリアは芸術の国、ダ・ヴィンチやミケランジェロの国である。その伝統が、セット作りの大道具、小道具、装飾や美術、照明等に遺伝子として脈々と引き継がれていても不思議ではない。

メイキング映像を見ると、橋の爆破シーンは、タイミングが合わず結果は失敗で、もう一度橋を作り直して撮影するとか、いい加減なところも多々あったということだが、優れた芸術性を感じ取れる映像表現が、随所に見受けられる。
ラスト近く、墓場のシーンでトューコが狂気乱舞するシーンの壮大な景観が素晴らしい。レオーネ映画の多くの場面で、構図、アングル等、絵を描いているようにも感じる。

大量のエキストラ、大量の武器、弾薬、大砲の砲撃、爆破シーンなどスペクタクルシーンや戦場の塹壕シーンの壮大なスケールなどは、南北戦争を時代背景とし、壮大な一大絵巻を作りたかったのだろう。
イーストウッドも、レオーネは金銭に糸目はつけなかっと述べていて、*デヴィット・リーンのような監督を目指していたと語っている。

レオーネは、この後の作品でも「ウェスタン:Once Upon a time in the West」「夕陽のギャングたち:Duck,You Sucker」と西部劇を監督するが、「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」そしてこの作品の3作で、レオーネの描きたかった世界はすべて描き切ったのではないだろうか。

西部劇というジャンルを超えて、“レオーネの映画”として世界中に認知されたのは、レオーネの卓越した構成力と演出力に他ならない。
この作品は、イーライ・ウォラック演ずるトューコが狂言回し的役割を担い、彼を中心に映画は進行するが、ブロンディ役のイーストウッドは、この作品でのセリフは、ウォラックの半分以下だろう。無口な煙草を銜える苦み走った顔のイメージは、イタリアでの3作品で作られたものである。
(イーストウッドは私生活では煙草は吸わない。)

リー・バン・クリーフは、悪役担当で、前作に続き、相変わらず渋い演技を見せるが、ウォラックのメイキング映像での想い出によると、物静かで紳士的な俳優だったと述べている。鷲鼻で、細い目一度観たら忘れられない風貌は、その後多くのマカロニウェスタンや戦争映画で主演を務め、1989年64歳という若さで心筋梗塞で亡くなった。まだまだ活躍できた年齢だった。

イーライ・ウォラックは、昨年(2014年6月)98歳で亡くなったが、「荒野の七人:The Magnificent Seven」の盗賊の親分役で注目を浴び、多くの作品で印象深い演技を披露した脇役専門の名優である。
ブロードウェイ出身でトニー賞を受賞している実力派で、「ゴッドファーザーPARTⅢ」での悪役は晩年最高の演技だったのでは、ないだろうか。
今やハリウッドの大監督となったクリント・イーストウッドは「ミスティック・リバーMystic River」で、2003年ウォラックをキャスティングし、旧交を温めている。

レオーネ監督の長回しや出演者のアップ、全体の景観を見せる引いたカメラ映像など、レオーネ独特の“レオーネタッチ“とでもいう映像表現が、ふんだんに編集され堪能できる。

クリント・イーストウッドは、この作品を最後にマカロニ・ウェスタンとは決別し、アメリカに戻り「奴らを高く吊るせ:Hang’em High」「マンハッタン無宿:Coogan’s Bluff」と順調にキャリアを積んでゆくことになる。
1971年「ダーティー・ハリーDirty Harry」で、世界的なビッグスターとなってからは、広く知られるところだが、映画の師は、レオーネとドン・シーゲルだと後に、イーストウッドは語っている。

“映画はみんな面白い”☆☆☆☆☆☆(ちょっと長すぎたのが、残念!!)


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